史記に学ぶ——便所のネズミと食糧庫のネズミの話から考える「環境が変われば、生き方も変わる」

うつ病

こんにちは。
今日は『史記』の一節をヒントに、うつ病に対する自分自身の考えを少しまとめてみたいと思います。

『史記』の中の「貨殖列伝(かしょくれつでん)」という章には、こんなたとえ話が出てきます。

「倉中之鼠,不見欺於人,衣食常足;廁中之鼠,常恐不足,為人所厭。」
(倉の中のネズミは、だまされることもなく、衣食に困ることもない。便所のネズミは、いつも不足を恐れ、人に嫌われる。)

同じネズミでも、
食糧庫(倉)の中にいるか、便所の中にいるかで、まったく扱われ方も、生き方も違います。

うつ病を経験して思う「場所」の大切さ

この話を読んだとき、私はふと自分のことを重ねてしまいました。

うつ病になったとき、
「こんな自分はダメだ」と思ったり、
「みんな普通にできることができない」
そんなふうに自分を責めることばかり考えていました。

でも本当は、
それは「自分が悪い」のではなく、
「今いる場所や環境」が合っていなかっただけかもしれない、と今では思います。

たとえば職場や家庭、人間関係。
便所のネズミになってしまうような場所で、無理に頑張ってもつらくなるばかり。
自分にとって「倉の中」のような、安心できる場所を探すことも必要なんだと思います。

環境が変われば、評価も気持ちも変わる

『史記』では、さらにこうも書かれています。

「今人而不見時,不能自致於倉鼠之位,陷於廁鼠之中,是又人之不幸也。」

(人が時を見誤り、自ら倉のネズミの位置につかず、便所のネズミの中に落ちるのは、人として不幸である。)

つまり、
環境や場所を選び間違えてしまうと、どんなに力があっても報われないことがある。
そのくらい「環境を選ぶこと」は大切だ、ということです。

まとめ:無理に「便所」で生きなくてもいい

もし今、
「なんで自分はこんなに生きづらいんだろう」
「周りから認めてもらえない…」
そんなふうに感じているなら、
まずは「場所」を変えてみることを考えてみてもいいと思います。

同じ自分でも、いる場所が違えば、自然と評価も変わり、生き方も変わります。
『史記』の中でもその大切さが語られているように、
無理に「便所」で頑張り続ける必要はない。
もっと自分が安心できる「倉」を探すこと——
それも、一つの生き方なんだと思います。

焦らず、自分に合う場所を少しずつ見つけていきましょう。
私も、そんなふうに日々を過ごしています。

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