こんにちは。
今日は、私自身がうつ病になり、働けなくなったときに感じた「罪悪感」についてお話ししたいと思います。
今、この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら同じような気持ちを抱えているかもしれません。
「会社に迷惑をかけてしまっている」
「みんなが働いているのに、自分だけ休んでいていいのだろうか」
「自分は、社会にとって必要ない存在なんじゃないか」
そんなふうに、うつ病によって“働けないこと”に対して、言葉にしづらい重たい気持ちを感じていませんか?
「休む=甘え」ではないと気づいた瞬間
私自身、うつ病で休職することになったとき、最初に感じたのは**“安堵”ではなく“罪悪感”**でした。
「本当に休んでしまって大丈夫なのか」
「サボっていると思われないだろうか」
「こんな自分はダメなんじゃないか」
家にいても心が休まらず、働いていないことに対する後ろめたさばかりが膨らんでいました。
でも、ある日ふと思ったんです。
「こんなに罪悪感を感じるほど、私は“働く”ことに縛られていたんだな」と。
そう気づいたとき、自分の中にあった「働けない=価値がない」「休む=逃げること」という思い込みに、初めて疑問を持ちました。
罪悪感の正体は、“社会の常識”だった
そもそも、なぜ私たちは「休むこと」に罪悪感を感じてしまうのでしょうか?
それはきっと、社会に根強くある「働いていることが正しい」「頑張っている人が偉い」という価値観が影響しているからだと思います。
小さなころから、「休まず学校に行こう」「サボるのはダメ」「人に迷惑をかけるな」と教えられてきた私たちは、無意識のうちに“自分を犠牲にしてでも頑張ること”を正しいと刷り込まれてきました。
だからこそ、「うつ病で働けない」自分に対して、「これは甘えなんじゃないか」「もっと頑張らなきゃ」と自分を責めてしまうのだと思います。
でも、それって本当に正しい価値観でしょうか?
心が限界を迎えているときに、それでもなお「働くこと」が“正しい”のでしょうか?
労務管理の視点から見た「適切に休むこと」の意味
私は現在、労務管理に関わる仕事をしています。
だからこそ、うつ病になったことで「働く人のメンタル不調」に対する見方が大きく変わりました。
企業にとって、社員が無理をして働き続けた結果、より深刻な状態になって長期的に離脱することのほうが大きなリスクです。
だからこそ、産業医や人事担当者、そして上司たちは、「休むべきときはきちんと休む」ことを重要視しています。
これは単なる「個人の問題」ではなく、労務管理・安全配慮義務の観点からも正当な判断なんです。
そしてもう一つ。
休職は「何もしない時間」ではありません。
自分の心と身体を整え、再び社会とつながるための“回復と準備の時間”です。
焦る必要はありません。
この時間は、確実にあなたにとって必要なものであり、社会的にも認められている「正当なプロセス」なのです。
「働けない今の自分」も、十分価値がある
うつ病になると、「何もできない自分」がとても無価値に思えてきます。
でも、本当にそうでしょうか?
あなたは今、痛みを抱えながらも「回復したい」「前に進みたい」と思って、こうしてこの文章を読んでくれている。
それだけで、もう十分“前を向いている”証拠なんです。
「働けないこと」に罪悪感を持つ必要はありません。
むしろ、休職を決断したこと自体が、あなた自身と、周囲への誠実な選択です。
罪悪感よりも、“希望”を抱いてほしい
うつ病で休んでいると、「このまま社会に戻れないのでは」「もう一生働けないのでは」と不安になることもあると思います。
でも、回復には“波”があります。
良くなったり、また落ち込んだりを繰り返しながら、少しずつ前に進んでいく。
私自身、何度も「やっぱり自分はダメかも」と思いました。
それでも、自分を責めるのをやめ、罪悪感を手放そうとしたとき、少しずつ心が軽くなっていきました。
そして今も、「また働きたい」「もう一度社会とつながりたい」と思えるようになってきています。
だから、今のあなたにも伝えたい。
休むことは甘えではなく、“回復への勇気ある一歩”です。
そして、働けない今のあなたにも、ちゃんと価値があります。
どうか、罪悪感に押しつぶされずにいてください。
一緒に、ゆっくりでもいいから、自分らしい歩幅で前を向いていきましょう。
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