【体験談】パニック発作で救急搬送された日のこと

心を磨く

まさか、自分が救急車に乗るとは。。。

これまで救急車のサイレンを聞いてきましたが、その音はいつも自分とは関係のないもの。道を譲りながら「誰か大変な人がいるんだろうな」と思うことはあっても、その救急車が自分を迎えに来る日が来ることなんて想像もしたことはありませんでした。

その日は5月下旬のある朝。

私はパニック発作で救急搬送された日のことを伝えたいと思います。

抗うつ薬を再開した夜

その日は、久しぶりに抗うつ薬の服用を再開した日でした。薬を飲んで布団に入り、「これで少しずつ良くなっていけばいいな」と思いながら眠りについたのを覚えています。

ところが深夜1時頃、強烈な吐き気と大量の発汗で目が覚めました。急いでトイレへ行き、その後、三回ほど嘔吐。久しぶりに薬を飲んだ直後だったこともあり、当時は「副作用なのかな」と考えていました。

ただ、このあと起きた発作と薬の服用に因果関係があったのかは、私には分かりません。

その時は、少し休めば落ち着くだろうと思っていましたが、結局その日は朝まで一睡もできませんでした。吐き気は少しずつ治まっていったものの、今度は胸のつかえや息苦しさが強くなっていきます。

不安が不安を呼んでいった

胸が苦しく、深呼吸をしても思うように息が吸えません。喉の奥に何かが引っ掛かっているような感覚もあり、「なんだかおかしいな」と思いながら時間だけが過ぎていきました。

妻にも体調が悪いことは伝えましたが、「少し休んだら寝るね」と言うのが精一杯。本当は眠れるような状態ではなかったものの、できるだけ心配をかけたくなかったのが本音ですね。

一人でソファに横になっていると、不安はどんどん大きくなっていきました。

「この先も家族を幸せにできるのだろうか」

「また仕事を失うんじゃないか」

「妻や子どもたちに迷惑ばかりかけているんじゃないか」

そんなことばかりが頭の中を巡ります。今考えれば、夜中に一人で考えて答えが出るようなことではありません。

でも、そのときは頭に浮かぶネガティブな感情や思いが、今すぐ答えを出さなければいけないようなどこか脅迫されているように感じていました。外が明るくなれば少し落ち着くかと思っていたものの、むしろ逆で、朝になるにつれて不安そして焦りはさらに大きくなっていきました。

「一睡もできなかった」

朝になり、妻が起きてきました。

「寝れた?」

そう聞かれて、私は「一睡もできなかった。めちゃくちゃ胸が苦しい」とそのまま答えました。もう、取り繕う余裕は全くなかったです。

妻と娘たちが朝の支度を終えて出かけたあと、私は一人になりました。会社には、副作用が強く出ているため午前中に心療内科を受診したいと連絡しましたが、その頃には息苦しさがさらに強くなっていました。

以前にもパニック発作を経験していたため、「もしかして、またパニック発作かもしれない」と頭には浮かびます。ただ、そう気付いたところで、どうすればいいのか考えられる状態ではありませんでした。

本気で「死ぬかもしれない」と思った

部屋の中にいること自体が苦しくなり、私は外へ出ました。外の空気を吸えば少し楽になるかもしれない。そんな期待があったからです。

しかし、外へ出た直後、強いめまいと胸の圧迫感に襲われました。胸が苦しく、息を吸っているつもりなのに、うまく入ってこない。身体も思うように動きません。

そのとき初めて、本気で「これ、死ぬんじゃないか」と思いました。

これまでにもパニック発作は経験していましたが、このときの苦しさは比べものになりません。呼吸がうまくできないだけで、こんなにも怖くなるのか。今でも、その感覚は覚えています。

さらに、手足のしびれやひきつりまで始まりました。私の場合は、あとから医師に「テタニー症状が出ていたんだね」と説明されています。

「救急車を呼んでください」

私は必死に人を探しました。幸い、向かいの会社の方たちがちょうど出勤しており、その方たちに向かって「すみません。救急車を呼んでください」と伝えました。

ちゃんと声になっていたのかも分かりません。それでも、何とかその言葉だけは口にできました。

そこから先の記憶は、かなり曖昧です。従業員の方が119番通報をしてくれて、私は苦しい中で状況を説明していたように思います。

やがて、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきました。いつも聞きなれた音。自分とは無縁と思っていた音。その音が自分に近づいてきたとき、「本当に、自分のために来ているんだ」と不思議な感覚になったことを覚えています。

自分を助けるために向かっているんだと。

知らない人が、ずっとそばにいてくれた

救急車を待っている間、私は泣いていました。鼻水も出ていましたし、よだれも垂れていました。

かなりひどい状態だったと思いますが、恥ずかしいとか、格好悪いとか、そんなことを考える余裕もありませんでした。それでも、向かいの会社の方たちは、救急車が到着するまでずっとそばにいてくれました。

「なんで、赤の他人の自分にここまでしてくれるんだろう」

ありがたい気持ちと、申し訳ない気持ちが入り混じっていました。苦しくて泣いていたのか、人の優しさがありがたくて泣いていたのか、自分でもよく分かりません。

ただ、あのときそばにいてくれたことは、今でも忘れていません。

妻の顔を見て、少し安心した

救急車に乗ってからの記憶も、あまり残っていません。病院へ着いてからも発作は続いていて、目を開ける余裕すらなく、私はただ苦しさに耐えていました。

しばらくして、妻が病院へ来てくれました。その顔を見た瞬間、少しだけ安心したのを覚えています。

同時に、「また心配をかけたな」とも思いました。

発作はすぐには治まりませんでしたが、妻が来てから少しずつ呼吸も落ち着いていきました。検査の結果、身体に大きな異常はなく、テタニー症状は残っていたものの、その日のうちに帰宅することができました。

あの日のことを今振り返って

あの日、私は本気で「死ぬかもしれない」と思いました。息がうまくできず、身体も思うように動かない。不安だけがどんどん膨らんでいく、これまで経験したパニック発作の中でも一番苦しい時間でした。

でも、今になって一番強く残っているのは、苦しさだけではありません。

見ず知らずの私のために救急車を呼び、到着するまでそばにいてくれた方たち。対応してくださった救急隊員や医療従事者の方たち。そして、病院まで来てくれた妻。

あの日の私は、自分一人ではどうにもできませんでした。でも、必死に「救急車を呼んでください」と言い人に助けを求めた。

今振り返っても、あのとき助けを求められて本当によかったと思っています。一人で何とかしようとしていたら、どうなっていたか分かりません。

あの日は、決して良い思い出ではありません。今でも思い出すと怖さは残っています。

それでも、人に助けてもらったことだけは、これからも忘れないと思います。

コメント